第13回研究会 報告


第13回研究会が、2019年7月10日、白眉センターにて開催されました。

江間氏は「すばらしい新世界と生循環」と題して、2019年2月に出版した著書「AI社会の歩き方」に即して話題提供をしました。現在の機械学習をはじめとする技術が社会的なバイアスを再生産、増幅したりすることが問題視されています。例えば、フェイクニュースを作り出したり、ハッキングされたりするなどの問題に対して、技術の問題に技術で対抗する手法や、制度の整備などが求められています。そのような中、各国あるいは国際機関を中心にAIに関する原則や指針が作られています。また、現在Society5.0やSDGsといった人間社会の幸福に資するように技術を適正に管理していくという論点が掲げられています。しかし「幸せな社会」ビジョンは、誰の視点によるものでしょうか。ユートピア/ディストピア小説や漫画、公的機関が出している「未来社会」予想シナリオをいくつか紹介しながら、それらのシナリオが、「生循環」が問題提起する「直線的な生命観」に根差していないかと問題提起しました。

楯谷氏の話題提供「生循環と生命倫理」は、一つの単純な問いかけ―「生循環」という概念は、「生命『操作』科学疲労症候群」の処方箋となるか?―に要約されるものでした。まず、宗教学者の安藤泰至氏の著作より「生命操作というシステム」(「治療だから受けるのが当然」等、ある特定の選択を後押しする言説システム)、および、そこに「死なせるベクトル」「死なせないベクトル」という相反する方向性を持ちながらも実は表裏一体であるような一種の圧力があるという論が紹介されました。次に「死なせる/死なせないベクトル」の例として、母体血胎児染色体検査(いわゆる新型出生前診断)、およびがん関連遺伝子変異の網羅的解析検査が挙げられました。いずれも、近年の生命科学の著しい発展が人々にもたらす恩恵の一部でありながら、場合によっては「悪気なく」当事者とその家族を無駄に振り回し疲弊させてしまうという側面を持ち、楯谷氏はそのような負の側面を「生命『操作』科学疲労症候群」と名付けました。生命科学は自然科学の一分野ですが、人間の願望と結びつき「生命『操作』科学」となって命の臨界点(生死)にどこまでも介入しようとする性質を帯びるのは仕方がないと楯谷氏は言います。「生命『操作』科学疲労症候群」は、自然な生命の流れの一部を切り取って科学技術を適用する「生命『操作』科学」の恩恵に囚われるあまり近視眼的になり、生命の全体の流れが見えなくなるという副作用であり、そこで「生循環」の概念は「全体性の回復」に寄与できるかも、という提言がされました。フロアからは、それはむしろ宗教の役割では?という尤もな意見も出ましたが、楯谷氏の発表が「生循環」の根本的な意義や可能性を模索しようとする試みであったことを指摘する声もありました。